本日ご紹介するのは、『マカロニえんぴつ』のナンバーから
『ブルーベリー・ナイツ』【作詞・作曲:はっとり】
歌詞全文はこちらのリンクから→https://www.uta-net.com/song/262923/
マカロニえんぴつの「ブルーベリー・ナイツ」の歌詞は、恋愛における悲しみ、孤独、未練、そして感情の揺れ動きを繊細に描いています。
「ブルーベリー・ナイツ」の歌詞の中で、ブルーベリーは恋愛のメタファー(明確な比喩表現を使わずに、他の物事になぞらえて表現する、比喩のこと)として使われています。この楽曲における「ブルーベリー」は、甘酸っぱい味わいと、形や色が変わりやすいことから、恋愛の儚さや変わりやすさを象徴しています。
ブルーベリーと恋愛の関係
1. **甘酸っぱい感情**:
– ブルーベリーの持つ甘さと酸っぱさは、恋愛の中で経験する様々な感情、特に喜びと悲しみの両方を象徴しています。恋愛の最中には、幸せな瞬間もあれば、辛い瞬間もあります。この感情の振れ幅をブルーベリーが表現しています。
2. **儚さと変わりやすさ**:
– ブルーベリーの実は小さく、変わりやすいものです。これは、恋愛が一瞬で終わってしまったり、状況が急に変わってしまう儚さや不安定さを表しています。恋愛の中での変化や不確実性が、ブルーベリーというモチーフに重ねられています。
3. **未練と切なさ**:
– 「ブルーベリー・ナイツ」の歌詞では、過去の恋愛への未練や切なさが強く描かれています。ブルーベリーが持つ深い色合いは、こうした深い感情や思い出の象徴とも解釈できます。ブルーベリーが夜(ナイツ)と組み合わさることで、特に夜の静けさの中で感じる切なさや寂しさが強調されています。
以下に、各歌詞のフレーズについての考察を示します。
歌詞の考察
傷つかないための気付かないふりばかりだ
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
信じることは悲しいこと
恋愛で傷つかないようにするために、見て見ぬふりをすることが多いということです。自分を守るための防御機制が働いていることを表しています。
誰かを信じることが、時に悲しみを伴うことを示しています。裏切られることや期待が裏切られることがあるからです。
夜の幻 さよなら25時
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
忘れちゃうのに求め合うのは身体が空っぽだから
夜に感じる幻想的な雰囲気と、それが終わる時間を表しています。「25時」という時間は現実には存在しないため、幻想の終わりを象徴しています。
忘れたいのに、互いを求めてしまう理由が、心や体が満たされていないからだと示しています。孤独や空虚感が強調されています。
姑息で孤独なあなたが嫌いで、でも好きで、そんな自分も好きだった
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
恋人に対する複雑な感情を表しています。嫌いな部分もあるけど、そんな嫌いな部分も大好きな彼女の一部だから許してしまう。そんな彼女を好きでいる自分自身も好きだった。
好きになると相手のことをなんでも肯定してしまう…好きだったと過去形なことから、これが良くないことだと気づいたということ。まだ気持ちの整理ができておらず戸惑っている様子。
合鍵は返してね、愛がないならもう会えないよ
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
関係の終わりを示しています。物理的な「合鍵」を返すことで、心理的にも区切りをつけようとしています。
冷めないで 消えないで そう願ったって遅いのに
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
愛して まだ相手してほしくて、なんてもう、馬鹿だよな
ねぇ行かないで 棄てないで もう縋ったって遅いけど
関係が冷めたり、終わったりするのを望まない気持ちが表れていますが、それが既に遅いことを悟っています。
愛がまだ残っているため、関係を続けたいという欲望がありますが、それが愚かだと自覚しています。
別れたくない、捨てられたくないという切実な願いが表現されていますが、これも既に遅いことを理解しています。
運命の誰か、あたしを掬って食べて、マイ・ブルーベリー・ナイツ
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
「掬って」と「救って」をかけていて、自分を救ってくれる誰かを求めています。「ブルーベリー・ナイツ」は、甘酸っぱい恋の記憶や幻想的な夜を象徴しています。
恋の幻 さよなら25時
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
信じることは悲しいこと
恋が幻だったことと、その終わりを受け入れることを示しています。
「信じることは悲しいこと」というフレーズは、恋愛や人間関係において信じることが時に悲しみを伴う理由を象徴しています。以下に、その理由をいくつか挙げて説明します。
1. 裏切りのリスク
信じることは、相手に対する期待や信頼を伴います。しかし、その期待や信頼が裏切られたとき、深い悲しみや失望を感じることになります。人は誰かを信じることで、心を開き、脆弱な部分をさらけ出します。そのため、裏切られたときの痛みは非常に大きくなります。
2. 依存と失望
信じることで、相手に依存する部分が増えます。信頼する相手が期待通りに行動しなかったり、予期せぬ結果が起きたとき、その依存が強かったほど失望も大きくなります。信じることで生まれる期待が裏切られたとき、そのギャップが悲しみを引き起こします。
3. 過去のトラウマ
過去に信じていた人から裏切られた経験があると、新たに誰かを信じることが難しくなります。そのため、信じること自体が過去の悲しみを思い出させ、再び同じ痛みを経験することへの恐れを伴います。
4. 愛の喪失
恋愛において、相手を信じることは愛を深める一方で、関係が終わったときの痛みも大きくなります。信じていた相手と別れることで、愛を失ったという喪失感が深く心に残り、それが悲しみを引き起こします。
5. 不確実性の受容
信じることは、未来の不確実性を受け入れることでもあります。何が起こるか分からない状況で信じ続けることは、常に不安と隣り合わせです。その不確実性がもたらす不安や恐れが、信じることの悲しさにつながります。
以上のように信じることの悲しさは、期待と現実のギャップ、そして人間関係の不確実性から生まれます。信じることで得られる喜びと、それに伴うリスクを理解することで、なぜ信じることが時に悲しいのかを深く理解することができます。
残って離れてくれない匂いが、愛おしくて、許せないの
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
恋人の匂いがまだ残っていて、それを愛おしく思う一方で、関係の終わりに対する怒りや許せない気持ちも抱えています。
誰でもいいよ、あたしを潰して舐めて、マイ・ブルーベリー・ナイツ
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
自暴自棄な気持ちが表現されています。潰して食べることのあるブルーベリーとかけた表現。誰かに助けられたい一方で、自分を傷つけるような行為を受け入れてしまうほどの絶望感が表れています。
おとぎ話にすらならないね、錆びた踊り場で回る、神様たちは 他人のままだ
マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」 作詞・作曲:はっとり
彼らの関係が、おとぎ話のような美しい結末にはならないことを示しています。錆びた踊り場は、過去の栄光や喜びが失われた場所を象徴で、そんな場所で回り続けるような停滞感を表しています。恋愛の神様たちは他人事のようで全く力を貸してくれない。
という感じでしょうか ( ..)φ
「ブルーベリー・ナイツ」は、過去の恋愛の記憶や未練を描きつつ、現実の孤独感や絶望感を強調しています。
歌詞の中で、恋愛における喜びと悲しみ、そしてその両方がもたらす複雑な感情が織り交ぜられています。
この曲は、恋愛の儚さや終わりを受け入れる過程を描いており、その中で自己成長や新たな希望を見出すことの重要性を示唆しています。
そんな「ブルーベリー・ナイツ」を聴くことで、リスナーは自分の過去の恋愛経験に共感し、そこから前に進む力を得ることができるでしょう。
ちなみにブルーベリーの花言葉は「実りある人生」「有意義な人生」「好意」「知性」「親切」「信頼」「思いやり」
まさに恋愛とは何か、恋愛には何が大事かを物語っていますね(^^♪
私もブルーベリーになりたい(≧▽≦)♪
訳)誰かに潰して食べてもらいたい
という気持ち悪い人はスプーンの裏でぶっ潰しましょう(笑)
あなたが掬ったマカロニえんぴつという音楽でした(^-^)♪
他にも『マカロニえんぴつ』の名曲を紹介しておりますので併せてご覧くださいρ(._.*)ρ
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